河渡病院へ

行ってまいります。先日の説明では3カ月の入院加療、アルコールなしの生活が当たり前になって帰ってくる予定。携帯電話からでもこちらブログにアクセスできるので、病院で面白かったり呆れたりしたら、こちらブログにスレ載せます。

もう10日ほど禁酒中だし、わざわざ3ヶ月も入院せずともいいような気もするが、誘惑に弱いわたしだ、徒歩5分にあるスーパーでビールもお酒も買えるんで、禁断症状抑えるには、スーパーに行けない環境じゃないとダメか。

母も入院中で、こちらの家は無人となるがそこは隣家の妹に見廻ってもらうしかない。庭にチューリップの芽がずんずん出てきていて、それら花が終わるころまで帰ってこれないわけだ。そういうのもう少し早く考え付いていたら、何か花の種を蒔いておけば帰ってきたときの喜びがあったか。次回の入院の際には考えましょう。

たぶん、楽しくない3ヶ月だろうし

昨日精神病院のドクターから「3ヶ月の入院が必要」と告げられ、入院の手続きのあとで新潟市役所に行き「高額医療××」届提出をしてきた(みな妹まかせ)。30日から入院で、わたしの人生ほとんど入院だとか大病とかと無縁だったんだが、初期高齢者となったんだ、今後は病気のデパート、病院優劣鑑定人、美人ナース激写など、そちら方面を充実させたい。

といったところで精神病院入院だぜ、意気が上がらないよな。禁酒中なのでもうノンアルコールビアテイスト飲料も、なんとなく飲みたくなくなり、仕方なくサイダーやら炭酸水やらを飲んでいる。

こんな暮らしが続くのか、何が楽しくて生きるんだ?ブログか?仕方がないので,PC中から何か楽しみを見つけていきたい。精神病院だもんな、いろいろ初めて知ることビックリなこと、相当すごい人などネタはそろっていると思うんだけれど。

河渡病院へ行ってまいりました

最初から入院入所が予定されていたようで、そのへんは妹がわたしの症状を病院に伝えておいたせいもあったか。最初に事務員さんのような方が実に事務的にわたしの症状や病歴をわたしと妹と並ばせて小一時間質問。

その後、ドクターがそちらのレポートに目を通してからわたしへの問診。その時にはもう入院が決定していたのだろう、3カ月くらいかなという説明もあり、看護師さんに入院病棟を見学させるよう指示を出し、診断は終わり。

30日の午前中に入院手続きをします、下着を2組その他必要なものなどの説明はもっぱら妹あてでわたしはもう痴呆患者とみなされている。でもまあそれが現実なのだし受け入れましょう。病院にPC持ち込みいいですか?と聞けなかった。携帯電話はどうなんだろう?wifiって壁もあるのでPCは無理か。でも入院してみてから問うてもいいだろ。精神病院からのレポートが当ブログに載りますよ。

母も入院、わたしも入院で隣家の妹には迷惑をかけるが仕方がない。現実に何の作業入院手続きもできぬわたしなのだから。低収入の人は月々3万円弱で入院出来ますという新潟市の支援制度があるそうで、入院手続きのあとで妹に今度は市役所まで連れて行ってもらう。こちらこそわたしには全く分からない社会的行動で、もう妹まかせ。よい方に向かうといいですね。

精神病院へまいります

急に頭が悪くなってしまう。それが認知症という病気の怖さか。こうしてPCに文字を打つのも一つづつ考え困って諦めもう一度…という感じか。パソコン教室通い始めてすぐの頃はもちろんそんなだったが、あの頃は「頑張れば何とかなるさ」と心に決めて、また現実に何とかなって(今も大したことできぬが)ここまできたけれど、老いという病魔はそういった「頑張り」にはたいして効果が無いよう。

まあ現在わたしの環境も悪く、今までは母と暮らし老いた母を介護し見守って来たけれど、その母が入所してしまい、何だか一人で食事の準備し一人で食べる日々が面白くない。

26日からわたしも入院。河渡病院というわが家からは離れた新潟市の東側にある精神病院で入院かどうかの診察を受けてくるが多分入院だろう。自分でもレベルやパワーが落ちたのが分かり、老いだけのせいではないね、脳の病気だねと自己診断しちゃっている。

診断があり「この程度なら家で投薬で」といわれるかもだが、いやいやけっこう脳の衰えは進んでいる。母は90代まで正気でいたのに息子は60代で認知不可能な厄介な人になっちゃうみたいで情けない。診断後にまたこちらブログに記します。

大学時代の友人たちから連絡あり

奈良に住む元教員のAくん、山形出身で埼玉県在住のこちらも元教師か?聞いたが忘れちゃったSくん。いずれにせよもうリタイアだろうし。べつに友情復活とかはないんだろうが、暇なときにメールできるほどの親しみの距離を老後に持ち続けたい。

短歌研究会という創作グループ。勧誘されたサークル中で頭に響いた気がして歌会に参加し、その日知り合った同輩の法学生に飲みに誘われ赤羽に住む彼の家で朝まで飲んでしまった。その時の同輩が「ラーメン店を開くので手伝え」と連絡寄こし30歳から50歳までラーメン店員として過ごした。

そちらのラーメン店主とは連絡が途絶えてしまったが、年賀状をもらったりしていた奈良のAくん、埼玉のSくんとの繋がりを今後とも、大事にしていきたい。

認知症の症状で不安だ。

今年初めに、近所に住む妹から「言動が変」だといわれ、新潟駅南口近くにある精神科医に連れていかれ「ついた病名、認知症」←ネリカンブルース調で。

妹に言わせると「昨年10月くらいから家に急に来て玄関で大声出したり、喋っていても変だった」そうです。断片的な記憶はあるけど、認知症の症状だったのか。ドクターは「アルコール性の認知症」と断言、といわれてビールは止めたくないです。もう認知症になっちゃったんだし、今までどおりでいいんじゃないかと妹に行ったが、当然むこうは「いまよりひどくなっちゃうよ」。

仕方ないのでノンアルコールビアテイスト飲料を購入し「おれの人生終わったなあ」と、慨嘆しながら酔うふりをしてみて遊んでいます。飲もうが飲むまいが、頭の回転は全然変で、まあ昔からそちらはダメだったが、でもいま身体の動きは老人の仕草になっているな。

昨日は自転車に乗って床屋まで行ってきたんで、運動神経とか「見た目を気にする」とか認知症患者的にはまだ初心者かな?今度短歌も作ってみて「認知症っぽいかどうか」を気にしてみようか。

猿の惑星 温泉編

妹夫妻は今日から京都旅行とか。寒い季節の旅行なんて温泉旅行以外泛ばぬわたしだしそれだって冬にわざわざ行くほどでもない。冬の京都って「底冷え」という代名詞が使われそうで、まあ新潟だって寒いですけど。

もちろんこんな季節だからフィリピンやタイに行きたいというわけじゃないし、リゾートってもやることも思いつかない。大昔に家族旅行で寒い季節に山の温泉でニホンザルが入浴している有名な場所に入った思い出。生命保険のコマーシャルで有名になって観光名所になってましたね。

猿が足元にいる写真があったのではなかったか、わたしが中学生のころに家族旅行で行ったんだろうな、父はそのころ管区学校の教官で、まあ閑職。旅行好きだったので一人でもあちこち行ってたし、夏休み冬休みには家族旅行当たり前だったか。公務員だった父で共済組合がしっかりしていて、各県都にビジネスホテルが有名な温泉地やリゾート地に昔風旅館とかを経営していた。

ホテル旅館と基本は同じだが、サービスを なんかわざと落としているみたいな感じはあったか。夕食も大食堂でテーブル席でみたいなね。父の死後、アルバムなんか散逸というか放りっぱなしで見えなくなった。猿とのツーショット画像こんど探しておきます。