父の履歴

昨日、お寺さんの読経のあいだ2階で寝てたが、正午前にもぞもぞ起き上がりわりといい天気で2階のカーテンや障子を開き日光を取り込む。そんなとき母のタンス(もう普段は着ないフォーマルや着物が収まる)の棚奥に仕舞い忘れていた父・石丸庄介の写真が見えた。父の死後に母といろいろ話し合い家じゅうのアルバムなど処分した-わたしの赤ちゃん時代の写真もみな捨てちゃった-際にたまたま残ったか母が残したのか。

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若き日の父

十代の父です、高等小学校出て奉公したんだろうに時流に乗って“御国のために!”って志願し少年飛行兵となった。それ以降の父の履歴はこうなってます。

昭和17年4月  陸軍少年飛行兵第14期生として東京陸軍学校に入学
昭和18年4月  熊谷陸軍学校(少年飛行学校の上級校)に入学
昭和19年7月  同校卒業 陸軍第39敎育飛行隊に配置 陸軍兵長下士官勤務となる
昭和20年3月  陸軍特別攻撃隊振武第89飛行隊に編成 第6航空隊の指揮下に入る 陸軍伍長
昭和20年8月  免田陸軍特攻基地(熊本県球磨郡)において終戦 陸軍軍曹任官 復員

大正15年4月生まれの父ですので、普通に生きていても召集令状が来たでしょうが最下等の兵として教育中に終戦だったろう。写真(寫眞)がいつ撮られたのかなど父から聞いた覚えはないが、みるからにお仕着せというか写真館で軍刀や軍服も用意してあったのではないか、もちろん推測ですが。