カート・ヴォネガットのことば

4月1日付朝日新聞一面、鷲田清一編「折々のことば」はカート・ヴォネガットスラップスティック」からです。

どうかー愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切心をちょっぴり多めに

スラップスティック」読んでますが覚えてない、ゴリラの風貌で生まれた姉と弟で、姉は中国に行きミニ人間になり弟は最後のアメリカ大統領になる。英知を得る方策がまあおかしくて姉弟でシックスナインだかペッティングみたいに絡み合い集合知みたいなんだがまあ周囲はビックリみたいで、いやでもそれ以上の記憶がないですすまん。折々のことばの意味はまあよーく分かるがでも哲学者がそれ言っていいの?ニーチェの言う小人、ハイデッガーの言う無駄なお喋りみたいなもんこそ、世間の衆生を救うって…でも実際はその通りなのよね。引用のあとの哲学者の解説。

人生で大事なのは「運命と真剣に取り組む」こと。が、真剣であればある程人生はどたばた喜劇のようになると米国の作家は言う。結婚生活も「愛」で通そうとすればそうなる。それより「だれかを大切に扱い、そして相手もわたしを大切に扱ってくれた」という体験をささやかながらも積み重ねることでき悲喜劇は回避できる。SF小説スラップスティック」(浅倉久志訳)から。

ヴォネガット読んでてものすごく泣いたことがあった。「ガラパゴスの箱舟」ラスト、ベトナム戦争中に淫売宿で性病もらった三文SF作家キルゴア・トラウトの息子(小説の語り手)がスウェーデン人医師から「君の姓って珍しいね、キルゴア・トラウトの親類なの?」って問われて号泣するシーン、洗われるっていうのか洗礼ってことばかな、もしかして昨日の哲学者の選に通ずるのかも、日々のちょっとした気遣い気働きみたいなものが世界をほんの少し純化するのかな…ってのでよろしいですか?

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ヴォネガットなら和田誠