PETボトル終戦記念

本日は巡回週末増員5時間勤務、深夜の仕事はないのでまあ楽チン、とはいえ出勤間際まで来月の勤務予定チェック後にみなさんに配る分を印刷して(なんでオレが!なんだが)いたし、明け方に「しまった、勤務表にポスター交換配置を忘れた!」で飛び起きたりで気はやすまることない。

でもって巡回増員なんだが、まあほとんど巨大ショッピングモールのゴミ回収、リサイクル品の確保、それと喫煙所清掃が仕事で、まあ歩くしゴミの量もそこそこだし、楽な仕事ではない。それはいいんだけど、ゴミ回収の面倒の一つに「ペットボトルは分別して」ってのがあって、燃えるごみに缶やビンが入ってはダメだがペットボトルも分けるようにとなっていて、面倒ではあるんだがそういうものと11年半作業してきました。

なのにさ、本当に今日だよ知ったのは。「責任者の社員さんから燃えるごみと一緒にペットボトルも捨ててもいいっていわれたよ」と、今日複数の同僚から言われた。今日は社員公休なんで、確かめる術はないんだけどそう一言でも言われちゃうともう、手が動かなくなるのね。われながら本当に自然で躊躇もためらいもなく一昨日まで律儀に分別してたのがどうでもよくなる。あれだよ、別に環境のことやリサイクル、再資源なんて考えて分別していたわけじゃなく、規則だから上から言われたからってだけで機械的に作業していただけなんで、こうしてタガが外れるといっぺんで無秩序に戻っちゃうのね。

タイトルを今かえたところだけれど、朝礼暮改みたいなのを下っ端が嘆くみたいな気分で記しはじめたんだが、まあなんというか先ほど亡くなった加藤典洋が「敗戦後論」で“ねじれを受け持つ”とかそういったこと記していたけど、一般市民にとって「今日からペットボトルなしね」っていわれりゃまあ特にねじれも葛藤もなしだなと、まあそういったことをチラと考えました、でもさそんな大事なこともっときちんと伝えてよね、オレ伝聞で聞いたままもう元に戻れずにいるけどさ。

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無残です