「もうすこし我慢をすれば…」めどはたつかな?

本日6月23日、朝日新聞「朝日歌壇」永田和宏選の一首、福岡県末松博明氏の短歌です。

もう少し我慢をすればあの人もいなくなるよと西洋タンポポ

うまいですね、でも警句・箴言としておかしみも蘊蓄もあるけれど短歌としていいかは分からん、短歌の鑑賞法などもう忘れてしまった。

先日東京で集まった面々は大学時代のサークル仲間で、40年前にタバコの煙があふれる部室でみなで短歌の雑誌を編集したり、歌会を開いたり世間の歌人をバカにしコケにし前衛ぶった議論などした。まあわたしみたいに完全に足を洗ったものもいるが、趣味の範囲で短歌・俳句を嗜んでる面々もあり、そうしてみなでお酒など飲みむかしの部室の話などしてると「またやろうじゃないか」と、ヘンな声が上がっちゃうんだよなあ。もちろんその場では「やってやろうじゃないか、穂村弘をぶっ飛ばせ!」なんて気炎を挙げても酒の席でのことと雲散無理かな、でもどうせいまは無趣味だし短歌作ってればお金もかからん、仲間内でのSNSで見せ合いも楽しいかなとほんの少し思ってもいる。

ただし身近にテキストがない。角川文庫の「寺山修司青春歌集」はもう長いこと座右の書ではあるけれど寺山テイストの短歌は好きではないし、まあわたしとは物語の転がり度数が違っておりいまさらお手本にはなりにくいしな。

大学短歌研究会の後輩で、プロ歌人である鈴木英子さんが「セレクション歌人」という現代詩文庫みたいな叢書で歌集を出していてそちらも手元にあるが、こちらは“女流”っていう括りは野暮だがわたしには真似のできない人類愛っつうか地母神っつうか、まあこちらも歯が立たないなあ。鈴木英子さんの歌集を紹介するページを貼っておきます。

petalismos.net

というわけで、手許には歌集2冊か。文庫で入手となると近代歌人しかおらんし、うんそうだ読書しましょ勉強しましょ、寺山修司と鈴木英子を参考書にわたしのグニャグニャ不遜で自虐で気弱ななさけない自我を包んでくれる語彙を集めてみようか。下手くそな本歌取りで締めます。

もう少し我慢をすればきらめきと再会できるか“へんな生き物”

 

f:id:kotiqsai:20190616172017j:plain

先日上京した際、三軒茶屋キャロットタワーからの青空