戦争だ、戦争だ!

昨日1月7日、朝日新聞鷲田清一編「折々のことば・1691」をそのまま引用します。

戦争とその産物は、経験しなかったわれわれにも恥辱をあたえる。 多木浩二

虐殺、拷問、凌辱、監禁、粛清。20世紀の戦争で、人類は「人間性の境界」を踏み外した。経験したか否かとは別に、身を抉るその「恥辱」の過去を反芻することなくしては、いかなる歴史認識も奥行きを持ちえないと、批評家は言う。その反芻をナシ売る思想や芸術の力や「日常生活を維持していく知恵」がなければ、人類はとっくに滅亡していただろうと。 「戦争論」から。

 

昨年秋に岩波新書独ソ戦」by大木毅読みました、親衛隊中将ラインハルト・ハイドリヒ直属の「出動部隊」による住民虐殺とか記してあって、あのハイドリッヒ?ってそうよね「暁の七人」って圧倒的な戦争映画だった。

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ラストの教会の包囲戦であんなにドイツ兵が死ぬのかな?作戦ミスだよなとは思ったが、冒頭のハイドリヒシーンが制服をまとうシーン(もう一度暗殺の日に再現される)から始まって全体に締まった名画だった。それはともかくその「恥辱」をわたしは受け止めているのかな?

米国民もイラン国民も、75年間も直接戦争にかかわっていない我が国の住民であるわたしとは違い、戦争はもうわりと身近で隣合わせな日常の風景だろ、逆に彼らに恥辱を感ぜよともいえぬのではないかとやっぱり危惧する。…えっ、でもそれって誰の無力?