隠し通せるものだと思う

昨年12月の2ちゃんまとめ「思考ちゃんねる」より“「サイコパス」←実は人として正常だった模様www”を貼ります。

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長々とした前振りだが、まあ言ってることは当たり前っつうか「そりゃ誰だって赤の他人の前では赤裸々な自分を出すわけないじゃん」という結論でした。サイコパスの定義って無慈悲とか冷徹とか、ハンニバル・レクターほどではないにせよ「平気で人を殺せる(んだから仲間割れも裏切りも密告も平気さ)」ほどの危険要素持ち合わせ人間と措定したなら、まあわたしの周囲のいやな奴とか腹黒い悪人とかにはサイコパスっぽい人はいないね…逆に低容量ってか間抜けゆえに周囲の秩序を乱す・破壊する連中なわけで、どちらかでいえば不埒でエモーショナルな面々、自己中心は一緒でも冷徹さ冷酷さなどは感じられず、だから本当の意味で「サイコパスな人からいやな目にあった」という経験はないのかな→ああ、いやな教師とかいたしその嫌さ加減は彼の無意識からにじみ出る精神分析的な範疇だったが、まあほぼすべての人が彼を嫌っていたわけでサイコパスではないか。

サラリーマンにきちんとなって仕事に励んでたなら、そこで敵意むき出しの上司とか取引先の意地悪な担当とか、中小企業の経営者の傲慢な理不尽とかで、サディストだったり平気で法を破れる人とかかわる現場に立たされたりはあっただろうが、ほぼずっと客商売で過ごしたせいでマスとして悪意や意地悪を経験しても、自分に向けられた直接的な敵意を感ぜずにもうこんな年齢になってしまった。

でもって感じるのはわたし自身がもつサイコパスそのものではないがサイコパス的な腹黒い面を、わりと無意識で隠して生きてきたんだなというねじれた残念感みたいな苛立たしさを含む安心感かな。いずれにせよ無能で間抜けな人間であるオレなんぞが意地悪し放題が叶う現場とか状況に就いたりしたら、意識的にその腹黒さを解放しただろう、そんな自分を時々戯画的に思い描き、苦し紛れの笑みが浮かぶことがある。