開き直ることもできず、認知症カミングアウトでした

寂しい、悲しいダイアリですね、昨日の「認知症告白記」

こうしてカミングアウトしちゃったんだから、こちらのダイアリのテーマは「認知症者として生きる」となるんだろうか、たぶん徐々に文章が変になるとかしちゃうだろうけど、こちら公開の場だ、あまり露骨も困るか。

今朝方起きてから「寒いな、秋なんだな」と、季節の変わり目を実感しっぱなし。ファンヒーターを出した方がいいかな、母には電気毛布か湯たんぽかが必要かな、などと感じ入ったり案じたりが続く。9月になっても暑い暑いと言っていたのに、きちんと区切りをつけて秋本番だ。まあ衣類だの布団だのの交代は、規則的にすればいいし、母のそっち関係は妹に任すしかない。

居間というか応接室でもあるTVの置いてある洋間に、母のベッドが置かれちゃいそちらが母の部屋であり応接室(母に用のある人専用の)を兼ねているということ。その脇の和室8畳がわたしの寝室であり居間であり、そちらでPC打っている。それももうちょっと寒くなれば襖を閉じ母の寝室の脇を片づけてわたしもちっちゃくそちらで寝るとかになるのか?

年金生活のわが家、現在の二つの寝室だとどうなるもんだか?昨年まではわたしが給料貰ってちょっとでも家に入れていたんで、まあ大きな態度でいられたが、現在は家の実費は母の遺族年金で賄っております、扶養されてるわたしです、もっと小さくガス代電気代も節約せねばと感じております→まあ、節約の具体例などこちらのダイアリに徐々に記していきますね。

昨日以来、認知症告白記録が続きます

寂しい、悲しいダイアリですね、昨日の「認知症告白記」

こうしてカミングアウトしちゃったんだから、こちらのダイアリのテーマは「認知症者として生きる」となるんだろうか、たぶん徐々に文章が変になるとかしちゃうだろうけど、こちら公開の場だ、あまり露骨も困るか。

今朝方起きてから「寒いな、秋なんだな」と、季節の変わり目を実感しっぱなし。ファンヒーターを出した方がいいかな、母には電気毛布か湯たんぽかが必要かな、などと感じ入ったり案じたりが続く。9月になっても暑い暑いと言っていたのに、きちんと区切りをつけて秋本番だ。まあ衣類だの布団だのの交代は、規則的にすればいいし、母のそっち関係は妹に任すしかない。

→でもってお次は失せもの。こちら認知症そのもの。ほんの少し前にPCを出しこちらダイアリ打ち始め、ちょっと一杯のつもりで「ドライゼロ」ビアテイストを冷蔵庫から出し、ほんの一口飲みかけてどこかに置いてそのどこかが分からなくなる。もうほんの小さな家の台所からわたしの部屋までの十歩くらいの左右なはずなのにそれを完全に失念している。ああ、認知症、本物です。

認知する能力が落ちて→認知症

病気ってのはそういう単純な名で、昔から呼ばれている。肝臓が悪い→肝臓病とかね。でも精神病って言葉はずっと昔からあるが認知症って名はわりと最近か、呆け老人恍惚の人…老人性痴ほう症って病名は認知症と同義語なのかな、どう調べたらいいか分からないので留保。

ここ数ヶ月(妹に言わせれば今年初めから)、考える力、理解するため何をせねばと思う力があっけなく落ちてしまった。65歳から介護保険の適用で年齢はクリアしてても同年代で認知症ってまあ稀でないかと、ちょっとしょんぼりする。

妹曰く「若い時からお酒ばかり飲んでたし、アルコールで脳がこわれたんだ」まあ分かりやすい。「仇は分かった、今後アルコールには近づかないもん」で、終わらない。現在の状況が悪化はしても少しでも元に戻るってのはあり得ぬだろう、出来る範囲で生活、暮らしてゆくしかない。国民年金+ちょびっと蓄えで懐さびしいとか、逆に認知症だし悩まずに行きたい→ダメでしょか。長文が書けなくなったか頭が働かなくなったか。

次はわたしあてのご利用案内を

パンフレットをいただいた「アクティブデイできじま」東出来島との住所表記なので母が逃げ出しても、わが家まではけっこう距離があるか。なんというのかな、ディサービスに行ってもらいたい気持ちは大いにあるんだが、そちらで「体操・運動が盛んで利用者の皆さん元気いっぱい」と銘打たれていると、ちょっと違うか。プロの介護士さんに見守られ心を平穏にして帰ってきて欲しい→これだとちょっと「美しすぎる」かな?

もちろん現在のわたし、母と一緒にぐーたらでぼんやり寝転がるか、こうしてパソコンぐだぐだするくらいの日常。できれば老人ホームでアクティブにアグレッシブに身体を動かし汗かいて→やりすぎ、健康を維持することは大切だろう。うちの母は90歳を越え、徐々にボケが強烈になってきて今後は大声で泣きわめくなんて事態もあり得る、そうなれば一緒に住めぬようになるだろうな。

ほんの最近、そういう老健のセールスじゃないか介護関係の方が紹介に来てくれ、でもまあ「母の老後は自宅で…」なんて言ってしまい、母自身がそういう場所に行くこと望んでないので→でも、昨日だったか「行ってもいいよ」てか言ってたか、わたしの態度が悪かったかな?

アクティブデイできじま

介護施設の案内みたいなの、ちょっとずつ読んでみたいから」と、妹にお願いをしたら本題の施設のパンフレットを持ってきてくれた。こんな時代だものPCネットで探せばわざわざ妹に面倒させずにすんだのだろう、今後はそうやって新潟市内の他を探すことにする。

へんな話、日本中の老健やリハ施設なんて施設としてほぼどこも同水準だろうし、もしかするとネット上でミシュラン的な☆幾つなんて評があるのかもしれない。本当に日々、わたし自身で分かるほど心身の衰弱が進んでいる。身体が動かせぬということでなく、頭が働かぬでもなく、でも弱ってきておりそれを自覚する、出来るということか。

そういうわたしの今後はどうする(なる)のが、理想とまでいわず順当なのかをもしかするとネットなどで探せるかもしれず、どうせ暇な身ですのでいろいろ探してみたい。

wakwak-day.aiko.or.jp

 

切り替わった日

とても怖い一日だ、自分が駄目になってしまっているのに気付いた。もともと成功したこと少なく、頭の作りもよくなく、とても小さく限定的に生きてきた。そのまま徐々に経年劣化というか、ある程度まで来てもうそろそろ終いかスクラップかみたいになって人生を終えたかった。

いま現在のような、明らかに自分の脳の力が衰えたのを感じてしまい、きっと身体全体も衰えちゃうんだなと自覚するなんて、たぶん初めての経験で→中学生の頃に自分の頭が数学向きでないなと感じたのは覚えている、でもその時は「時間が解決するさ」と思えた→脳の衰えってことは、今後のわたしの人生で楽しい・素晴らしい・嬉しいその他、自分の人生を肯定しまっすぐ前向くなんて誇らしい気分と無縁となる。

9月23日の午後、自殺という言葉もちょっとよぎった。これからの楽しくない人生をずるずる続けていったとて、苦しみの倍加を見るだけ。今よりずっと面倒事・困りごとが大きく多くなるだけとわたしの心が呟きわたしの脳内に反射している。とはいえ、自殺など怖くてできない石丸くんだ。なんとか小さくなりつつ日常に流され翻弄されつつ、人生の終いの方の色々を行うしかない。

そう決めた以上、それなりの人生の終わり方を怖くない程度に少しずつ肯定し、今日感じた恐怖を無駄にせず自らの武器というほどでなくても、ツールとしてうまく使いこなしてゆきたい。母は現在ディサービスに通っていて、そろそろ帰宅。母に怖い顔した一雄くんを見せず、母とわたしともう少し「良き人生」を歩きたい。

23日 秋分の日

こうして自分でダイアリ打てる、打ちたいと考える間はPCに向かえばよい。火曜土曜は母のディサービス、午後3時過ぎにはもう帰宅で、あちらもオートマチックなのかもだ。

妹が「一雄さんもディサービス行く?」と、問うてきて、昨日は答えてみてまたひっくり返してちょっと感情的になったりして困った老人そのままとなる。

なによりまずは介護認定を受けなくてはならない。身体が動かぬという分かりやすい障害はない、オツムの方は何かそういう診断のテストみたいなので認知症かどうか「違います」といわれれば、ある意味「おめでとう」なのだが、現在のわたしだと入浴御招待コースとどちらになるか。

居間のカレンダー、今月29日に「一雄・認定センター××さん」と記してあり、残念ながら現在のわたしには意味不明。でもまああれですね、要介護の人か要支援の人か、どちらかの認定に来られるのだろう。その結果で、わたしもディサービスとかかもしれず。

妹と昨日ちょっと今後のことなど話し合ったが、この家で妹は母の面倒を最後まで見てその間わたしは特養か?現在23日お昼前、妹が仏壇に花を手向けてくれる、彼岸だものね。墓に行きそれなりのことをせねばならぬのだが、どうにも身体がいうことを聞かぬ。いいさ、誰かに「行け!」といわれれば行きます、ディサービスから帰った母か、ぼんやりしているわたしに我慢ならなくなった妹か「行け」といわれたら、ハイ!と飛び出します。午後から動きあれば、ダイアリ続編あるかもです。