入院した母、いつ戻ってこれるのか

もうそういうことが分かっていないわたしです。認知症ってのは怖い病気で、でもわたしの場合は近所に妹が住んでいて、彼女がまあわたしを介助というか精神的なヘルプを果たし、また病院や他の機関と連携もしてくれているので、何とかわたし暮らせていくでしょう。

母に関しては1週間ほど前に主治医のおられる「新潟南病院」に入院させ、その後たぶん老人病院みたいなところに転院するのだろう。同居しているわたしの症状などから、母がこの家に帰宅はないのだろう。

となると骨になって帰ってくるしかないなあ。現在は病院や施設で亡くなるのが普通なことだろう。本当に運よくて健常者の妹が近くにいてくれわたしのことを見守ってくれ、これは本当にありがたいことです。

お金に関しても、これは父に感謝。家があり父の遺族年金を母が生きているうちはいただけ、貧乏で困ることはない、母の症状、わたしの認知症などで急なお金が必要とかならなければ、暮らしに困らずいけるか。

ですので病院から「死んじゃったか治ったか」どちらかの連絡がきて「ご自宅へ帰れますね」となるまでいろいろ不明。わたしも勉強とか情報集めとかしていきたい。

ノンアルコールビールもないし

隣家の妹に「ウソビールがなくなりました」としょんぼり懇願せねばならぬ。彼女にわたしの飮む量を知ってもらわねばならぬね、一日ロング缶3缶。ウソビールなので健康上の問題はないわけだしわたしの年金で充分購入できるほどの金額(6缶で千円ちょっと)なのだし、無問題なはずなのだが、妹からすれば「無意味なものに無駄にお金を使っている」としか見ていないので残念です。

今後の課題としては「ウソビールを飲む量も減らす」しかないが、そこまで兄を追い詰めてどうなるかってところが分からないのだろう。母の財布はあるわけで母は寝たきり買い物はわたしが行くので、母の財布からノンアルコールの分のお金を出し事後報告でいいわけ、もしかすると妹もそれでいいそれなら黙認と思っているかもだが、いややっぱりそれは嫌だね。

朝食後になんだかもの足りなくて、先ほどカップ焼きそばを食べた。さすがに今はちょっと苦しい、ソース味がきつい状態だが母と一緒の3食だと、どうしてもわたし的には寂しい空しいと感じてしまう。その分おやつを食べればいいけど菓子ではダメなのだよね、結局他人の1,5倍の朝食量となってしまい、だったらはじめから「おれ大盛りね、焼きそばもいいかな、母さんも一口食べなよ」で済むのだが、それができぬアバウト70歳ジジイでした。

今日が成人の日なのか、ちょっと不明確な爺だ

地震のせいだかその後の大雪のせいか、何かいろいろ予定や計画が変更みたいで、強制入院も飲酒禁止令もまだ出ていない。とはいえ妹に「飲んじゃいました、1本買ってきたいです」と懇願せねばビールも飲めない。もうじき70歳なのだしそれはそれで「いいこと」なわけだろうが、悲しいですねえ。

新潟市は大雪…っていっても15センチくらいだけれど。市民ならこれくらいの降雪量なら気にせず車でどこでも行けちゃうが、わたしみたいに隠居して車ナシとなっちゃった人は、まあ近所のスーパー行くほかないなあ。

本当に認知症になってしまい「自分が何をしているのか、していたのか」を覚えておらず同じことを繰り返しその都度「あらら、さっき来たよね」状態ばかり、怖い病気だ。もう一つ上の状態となれば、同じものを2度買うとか経済的損失も出ちゃうだろうし、他人との付き合いもうまくいかぬだろうし、つまりはもう一段階進んじゃうと本当にわたしボケ老人として残りの人生歩まねばならず、勝手気ままに生きられないわけです。なんとか大雪のせいでいろいろ計画が狂っていってくれないかな。

日付を間違えたようで

病院へはまだ行っていない。今日明日は連休なので、9日以降なのでしょう。入院とかなると寝たきり母の諸々は誰がするんでしょ、妹は孫たちの面倒も見なければいけず、でもまあ孫連れてウンチやしっこの世話を孫たちにも見せるのはよい敎育かもしれぬ。

わたしの方のノンアル宣言は、なんとか逃げ延びている状態で、でももうじき降参、白旗上げることになる。長生きなんてしたくないし、ぽっくりいけたらそれもいいんだが、でもこのたびの大地震だって能登半島だって、死んじゃっていたらもう分からないわけで「生きているうちが花なのさ」ではありますが。

わたしの財布、中身は妹か管理していて「アルコール買ってきちゃダメ」状態。WAONSuicaは入っているがどうなんだろほぼゼロ円状態にしてあるのだろう。もちろんわたしにも秘密のお金はあるわけで、ビールなんて徒歩3分のスーパー原信で午前7時から深夜0時までどんぶらこと売っているんだ、ゲリラ戦法でなんとか人生最後の楽しみは残したい。12日が病院、そのまま入院らしいがまだその辺は不明。それまでは執行猶予なんでしょ…とはいえ公言はできぬし、しょんぼり禁酒を続けたいです。

午前10時に病院へ

妹から強制的に「アルコール専門医」のところに連れていかれる。そのまま入院かもしれぬし「なーにビール3本?わはは可愛いもんだ」なんて言ってもらえるかもしれぬし。

酒量を段階的に減らすのは大変よろしいこととは思うが、ドクターはそんな悠長なことさせてくれぬだろう、本日より禁酒、破ったら強制入院!なんてところか。もしかするとそちら入院が既定路線で強制的に酒を断つことになるかもしれぬ。もう二度と帰ってこれない可能性だってあるし。

酒を飲まない石丸くんはも少し違う人だったりして、良い方になるかもしれず、だとしたら少し期待もしてみようか。わが家の向かいの無人家、壁は崩れたままでああでもオレンジのシールが貼られているな、工事関係者が入っているのかも。わが家の玄関のひび割れも専門家に見てもらわねば。

妹からビールを止められる

それは全面的な禁酒ではなく、飲むのは一日おきで量は半分などと、わたしにでもできそうな節酒の目標なので頑張ってみようかと考えている。とはいえ、このたびの禁酒騒動でわたしの精神はとてもくたびれ、当面そちらを回復さすにはアルコールが少量でもあった方が効果ありそうなので、そこが面倒。

今までだって他人に迷惑とかお金に困ったとか、そういう飲酒はしていないし、もうじき70歳のわたしだもの、どれほど飲めるわけではない。ああ、もうじき70歳ならアルコール卒業でもいいんじゃないかとは思うが、先日の能登地震の発生が元日の夕方だったわけで「これから飲むぞ」と意気込んでいたのにあの地震で飲み会どころではなくなった人は大勢だろうし、そう思えば70近いじいさんなりの節制くらいせねばならぬか。

正月早々、暗い話で失礼します

自分がまさか60歳代で「認知症」になるとは思わなかった。本当の意味での「認知症」というのは面倒な定義があるみたいで、ドクターからは「認知症状」といわれたけれど。特許みたいなもので認知症認知症状とは違うのね、アルツハイマー型とかそういう「形」が大事なようで、わたしの場合はアルコール性の認知障害てんかんの症状だと一昨日、でももう昨年末に精神科医から伝えられました。

自分がそんなおかしくなってると思ってなかったのだが、同行してくれた妹によれば昨年秋から「異常な行動、言動」が続き、不審だったそう。徐々に蝕まれていったのねわたしの脳みそ。でもまだ60代だしブログも続けたいし、治療とか今以上に悪くしないとか、妹に連れられてでも「良くなる方向」へ進みたいと思う新年の抱負であります。

母の現在もけっこう困った状態で、ほとんど寝ていて言動は不穏で不明で…わたしとたいして変わらないか。とはいえ、要介護者は母でわたしは認知症わずらう介護者として今年前半も何とかせねばなるまい。近くに住む妹など、もうほとんどわたしを期待してないみたいで、でもそれは大切なことです、最低の作業ができるかできないかが認知症でしょ、何とか最低線でとどまりたいです…って、これが新年の抱負か、今年も困った一年になりそうです。

でも、昨年みたいに中途でダイアリ記さなくなるようにはしたくない。自分の努力でそれはできるはず。