今後どうなるのか 五月三日 その2

今後どうなるのか、憂鬱で絶望的だけれどそれなりに楽しみ方もあること、客観的にみれるかどうか分からぬが、わたし的には批判的に二人の事象や、互いの困惑を記せればよい。母に関しては、どうしても「普通のお母さん」として見てしまうわたしがいて、それって変だよと警報が鳴らない。
先々月のわたしのこちらブログでは、母の混乱とわたしの発症が、呆れたり困ったりをメインに記されていて、その時2か月後のわたしがそれらの記憶をすべて忘れているなんて、考えもつかなかったろう。
天の配剤とはいわぬが、呆れて困惑して、その果てに憎んだり蔑んだりしつつの対処しかできなくなった可能性は大いにある。
変な話だが、妹が母とわたしに対してどんどんそういう感情を持つだろうと思うし、それが健常者の常であろうと考える。「痴呆になって自分の不出来が恥ずかしい」とは今のわたしは考えておらず、「動けない、考えられない」と、ダメダメを嘆くだけしか脳は働いておらぬ。
わたしの現在の状況を少し。本当に刹那というか瞬間の記憶が定着していない。台所で食器とか道具が必要と感じ、食器棚や引き出しを開けてみて、俺は何を探しているのか覚えていない、そんなことがもう本当に当たり前。
例えば現在午後4時、昨日の晩飯のおかず何だったっけ?で、人類の半数以上が覚えていなくて当たり前、そんなんで障害者だの脳の異常だの言えぬことは分かっているが、そういう普通の忘却と違う、やっぱり病的としか言えぬ物忘れなんだよな。
3月の母の容態を忘れたと記したが、4月の入院に関しても記憶からどんどん消えている。自動車事故が7日で集中治療室から一般病棟に移ったのが14日。鮮明ではないが移った時のことは覚えており、でもその後の病棟でのわたしの日常所作、ドクターや看護師との診察、治療、その他のかかわりなどもうほぼ記憶から消えている。美人看護師だなとかそういう思いも忘れたし、でも男性看護師が多いなという印象は今もあるか。

病院に関しては、今後も思い出など記したいが、その前に記憶が消えちゃうか。