記憶から落ちている事象多すぎ

仕方ない、覚えていないことがらはわたしの中で選択するときこぼれ落ちた者たちで、わたしとの縁がなかったということ。自宅からほぼ出ず近所のスーパーで買い物しそれを三食いただき、母の世話して近所の妹の世話になっている年金生活者なわたしが、取り上げてる事象です、こちらのブログは。

テーブル上に介護施設のパンフレット。医療法人愛広会という母がディサービスに通っている施設のもの、明日のわたしはそちら施設で、体験入所をさせていただく。わたし自身まあ大昔50歳になったばかりで都内ラーメン店を退職し帰省し、新潟で見つけた職場がディサービス施設だった。松浜病院という新潟市民は「精神病院」としてよく名を知る場所を一区切りし「さくら園」という名の老健ができた。

父が倒れたのをきっかけに、都内のラーメン店員を辞め新潟に帰ってきたわたし、職安で見つけた仕事がそちら「さくら園」の介護補助者だった。今後わたしがそういう場所に入所するのか、介護保険を使った福祉現場となった最初の頃、いろいろ経験しまあ、現在母の介護やわたしの行く末などを大まかにみれるようになった。

今後はわたしが当時の自身をちょこっと振り返りもし「新潟介護ミシュラン」みたい、☆幾つな寸評をしていきたいのですが、匿名がバレると意地悪されるか、それともこちら要介護者が優先になっちゃってるか。新潟市、日々寒い季節が近づいてきているのが分かる。わたしの将来と一緒であります。