昨年の今日、地震があった

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縦揺れが激しくて「でかいぞ」と心臓がキュッとなりかかったが、その後はスーッと収まった感じで、ホッとした思い出。仕事中ってのも加点材料だね、一応わたしは閉店後作業の責任者だったのでそちら関係で頭の中が大混乱もした。社員から電話かかってきて他の店舗では「作業中止、解散!」だがそちらは?と問われ、設備のセンター長も店長もまだいてみな仕事していると返事したっけ。

安否確認メールor電話の訓練が先週先々週とあって、数年かけてみなようやく習熟してきて返信率もそこそこ上昇、でもやっぱりうちの職場で3名からの返信なしで、理由書を書かされていた。いまだに「メールが来ない」と理由書いてる人もいて、60過ぎの爺とはいえ(オレも爺だが)、携帯屋に行って自分のアドレスどこ見れば分かるか教えてもらってくればいいだけなのになと思う。残りの2名は「メインの仕事中で、電話に出れない」といつもの理由。あとで返信する際はパスワードってか社員番号や生年月日を入力しないといけなくて、みな途中でバカバカしく放りだしちゃうんだよね、せめて営業所あたりに電話してOKにならないもんか。

新潟地震から55年か?1964年昭和39年、東京五輪の年でした、わたしは小学3年生、新潟県小千谷市に住んでた、小学校の校庭で昼休みで遊んでいたら地鳴りが低く周囲全体から湧き上ってくるって感じ、その後の大きな横揺れでビックリだったがあれで小千谷市は震度3だったって後に知って、きっと大地震の情報を得てから自分の中で体験を膨らませたんだろな。でもまあ新潟県民でも60歳以上じゃないと記憶にはないんだろう、今年になってもけっこうあちこちで中くらいの地震が続き、でもわたしなんか地底の不穏なエネルギーが震度4くらいで小出しで漏れちゃえば、いろいろ安心と思ってしまうがこれって楽天家?