3月26日、早朝のこと

先ほどのダイアリーに記さなかったことを吐き出しておく。

午前4時過ぎ、母の起きる気配。体調が良いときは、手押し車でトイレまで歩き、あちらで用足ししてベッドに戻る。今朝方はそのまま台所で作業しはじめ。

もちろんそういう母を知っており、有難いし元気さに脱帽だし、俺がこんな仕事選んだせいで対応せねばならず申し訳ない気分だった。

わたしの起床は4時半より5分くらい早かったか。流しの前に立ち包丁使う母と幾分か会話するうち、急に母の容態が激変。小さく「苦しい苦しい」と声を発し、そのまま流しに嘔吐→透明な粘液ばかりで胃酸でもなさそうだが→背を丸めえずく。

ベッドまで運び込み、横に寝かせたけれど、それまでの間にわたしは母に小言と愚痴を言い続け、つまり悪態をつきっぱなし。わたしのために早起きして、仕事して、急に苦しくなったらわたしから文句を言われただけの母。

そのまま家を出たわたし、朝母を見守ってくれる隣家の妹は、娘一家と旅行中で、妹のご主人が、母を(ちょっと遠くから)見守ってくれていた。だから義弟にわたしの鳴き声は届いただろう。どう謝ろうかを考えつつの帰宅だったのに、謝罪の言葉は途切れ、泣きじゃくってしまう。

それがよかったかどうか不明、母の心中までは分からぬが、わたしも悪かった…と和解のエールを送ってもらい、わたしも母も今朝方のすべては「もう終わったこと過去のこと」としたいものです。