四月二十八日

入院前の当ブログには「わたしの物忘れ、認知症予備軍じゃないか?」みたいなタイトルが溢れているが、それらダイアリを記したこと自体を、昨日読んだ時点でまったく覚えていない。内容だけでなく、わたしの動揺だとか心配だとか、そういう内心なんかも、いま現在の私、少しも記憶にないのだ。

本日、「物忘れ外来」なのか精神病院そのものなのか、わたしの症状を3週間かけて診てくれるそういう病院に行ってきた、新潟みどり病院。診察、検査は午前中いっぱいで終了、2週間後に2度目の診療となる。今日は問診、こちら期待外れ、簡単な心理テストと身体の状態を問われただけで、肝心のわたしの物忘れの具合や度合いなどを問うことはない、もちろん客観的な立場の妹に問うているんだろうが、なんだか拍子抜け。

でもってその後にMRI。技師がちょっとわたしの右耳を変に掴み、変形のまま作業が始まり、ちょっと不自然が作業中にイライラ爆発にならぬか最初は気になっていたが、気付いてみれば中途で少し居眠りも出て、わたし的には無事終了。5月中旬に2度目の検査、その後にまた妹と一緒で、結果を聞かされるそうで、そのころまでに物忘れが治っていればいいし、もっとひどくなっていたら病院のせいだ。

母の要介護度もそうで、今年2月ころいままで要支援2だった母の具合がひどくなりケアマネさんに入ってもらってから2か月以上経ちでもいまも新しい介護度は出てきてない。わたしの今後もどうなってしまうかまで、今のところ不明。

「こころの声」ブログを再開したいし、Facebookで発表していた短歌も再開したいが、ある程度の落とし前は必要。ただ痴呆が進んだせいで、書けなかったのではない。4月7日に交通事故を起こし、大勢に多大な迷惑をかけ、当人は腰の骨折る重傷。反省するとかより、刑事罰・行政罰などをきちんと受け、また被害者さんに許してもらわねばならず、そちらの作業は、ゴールデンウイーク明けに、新潟東署立ち合いで、現場検証があり、妹もついて来てくれるだろうが、わたしなりにきちんと謝罪はせねばね。

保険関連はきちんんとなされておるようだが、それだって人身事故となれば、みなさんの恨みがつくもの、まあわたしが一番の大怪我だったのはある意味正しいが、それでも恨みがはれてはいまい。今後どう生きるか、読者は少なくともオープンな場であるこちらブログで、今後ともこうして心象を記していてよいのか、分からぬまま「ままよ」と公開ボタンを押す。後悔せぬよう。