四月二十九日

普通に起きて、母のポータブルトイレ片付け後に朝食準備。なんということで、朝食に何を食べたかを覚えておらず。現在、昼食終了、記憶力記憶容量など気にしているが、実は以前から「何を食べたのか」「何をしていたのか」「何を考えていたのか」なんて、覚えないままに来たのだろう。

とはいえ、いま現在みたいに「記憶が飛んでしまう、物の名を覚えておらぬ自分が怖い」という症状が出ている現在だ、自分の行動を脳に刻む訓練が必要と思う。

とっさに思い出さぬこと、家の中で普通に物がおいてある場所を失念すること、それらは行動の旅に頭に刻むことで対応はできるのではと思う。

元来、できることなど大してないわたしという存在で、食事の準備や片づけ、買い物の諸々など、すべて把握はせずとも、納得してし終えたとなれば、物忘れでも記憶障害でも「過去はそれなり終了しているのだし」で、失念をしょんぼりと悲しむより、ちょっと悟った気分で前向きに行きたいとおもう。