短歌ほどではダメなのか

日常での違和感。昨日の記憶があやふやになっている。9月1日から、職場開店前清掃のシフトに入っていて、一昨日は後方、昨日玄関、本日エスカレーター。明日は公休となるが、どうも昨日の作業を覚えていない。

今朝方出勤で車に乗っても、どうにも勤務初日みたいな気分。思い出そうとすれば思い出せるのだが、実感としては「昨日の作業はわたしがこなしたっけ?もっとまえじゃなかったっけ」みたいで実感がわかない。

短時間の作業なので、その後帰宅してからが昨日第2部(お買い物・晩ご飯・野球観戦編)に押されて記憶の容量からあふれてしまうのかもだが、ちょっと簡単に溢れすぎ。脳の劣化が進んでいるのではと、わりと心配。

もともと職場でも家庭でも、ドジ勘違い記憶違いその他ケアレスミス不注意ミス忘れ物など、わりと多い。そんな人物をよく10年近く責任者にしていた会社も怪しいが、自己分析してみると、どうも昨年あたりまでのミスと、現在の記憶あやふや事件とは、本質が違っているのではと感じる。

つまりは呆けとか痴呆とか認知症とか→みな同じことだ。そういった領域っぽい記憶の跡切れのように思える。こんな風に自己分析できるうちはまだまだかもで、でも惱の衰え(脳の老化)がある水準まで達したかそこを行き過ぎたか、ちょっとそういう場所にいるような気がする。

タイトルは毎日実践している短歌創作&フェイスブックに発表という作業では、老化を防げぬかな?という意味。わたし的に昨年あたりから困っているのが、本を読めなくなったということ。苦痛でも詰まらなくても無理やり、少し読書に精を出してみたら、老化の速度を少しは遅れさせないか。画像はわたしの短歌作品を置いてあるブログトップページ。こんなんじゃダメか。

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