認知症そのものだ

ほんの少し前の記憶が切れてしまい、大切なものをどこに置いたかなどで、困ってばかり。訪問看護の方が午前中にお見えになって、母の現在など見てくれ語ってくれ、そういうどおでもいいことはそれなり記憶にあるんだけれど、その少し前に預かったお金をどこに置いたかで、1時間ほど前から室内あちこち探して見つからない。

狭い家の中のことだし、無くなってはいないはず、普段のわたしが何気なく置き、まさか忘れるなんて思わぬ場所なのを、見事忘れてしまうんだな。仕方ないです、自分の家の中のこと、居場所が見つからないだけのことと考え、あまり気にせず生きよう。

などとおおらかな振りしてみても、やっぱり心中穏やかではなく、つまりは認知症として生きるとは、不安や心配、困った困ったばかりをトボトボ生きることになる。何かのヒントで思い出せたり笑い話になったりならよいけれど、こういう災厄って、もひとつ悪いイシューを準備しているんじゃないのか、いまから次の災難の心配してどうする。

わたしより重症の呆け状態の母で、そこにはそれなりの心理状態精神生活での不安や不穏が渦巻いてるはず。それはそれで辛いだろうな、不可逆性のものだし、わたしももうじき母程度の痴呆になるはず。いつもオロオロガックリ、だけでなく探し物ばかりしていては、老人ホームでも嫌われるだろうなあ。

画像はわが家の冷蔵庫内、もちろんそちらも探しましたよ。