15日の新潟、強風

情けない状態となった「思考できず」とか「動き出せぬ」とか、老化現象だし痴呆関連の病的な行動でもある。

わたしと母と同居中なので、なんとしてもやらねばならぬ作業・事態は日々、さまざまにあり何とかそちらルーティンでこなしているが、もうすこしメリハリとか「家族で暮らす喜び」とかを感じたいがそこまでたどり着けぬ。

わたし自身「軽度認知障害」と診断されたわけで、でも当人的には「ほぼ認知症」でないかと推察している状態。老人なりたてみたいまだ若いわたしなのでドクター「まだ頑張れ」の意味で、認知障害と病名をつけ、半年後にはキリリと母の介護に専念してます、病院行かずにすみますとはなれそうにない。

もちろん認知症と診断され、ケアマネ介護士の世話になるっても、いまのところどうしてもお願いせねばならぬことがあるわけでなく、掃除洗濯炊事その他家の雑事はこなせるし、面倒事は隣家の妹に見てもらっているし、認知症だから何かしてちょうだいというわけでない。でもボーダーラインの人として扱ってほしい「転べばいつでも応援に行くよ」くらいのエールは欲しいのだが。

お盆の新潟だが、天気が良すぎ近所の寺にある父の墓にお参りに行けぬ。昨日妹一家で言ってくれたらしいので、母とわたしはもう少し動きやすい時期に行くことにする。形式的な父だったので、こういう便宜的な生き方は苛立たしいだろうが、まあいいさ、自分の身体のことを考える方がよい。